情熱が=(イコール)コンセプトになったとき [マイクロソフトでは出会えなかった天職]
マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった
- 作者: ジョンウッド,矢羽野薫
- 出版社/メーカー: 武田ランダムハウスジャパン
- 発売日: 2007/09/21
- メディア: 単行本
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何かにつき動かされ、いつのまにかそれが天職になってしまった。
まさにそういうお話。
はずかしながら「社会起業家」というコトバを知ったのが今年の5月。
知人に「○○さん(ボク)のやりたいことを生かすのであれば、社会起業家という手もありますね」
と言われたのがキッカケ。
それからというもの、社会起業家・ソーシャルアントレプレナーについての本を何冊も読みあさった。
ふむふむ、なるほど。
こういう世界もあるのかと...
同時になんだか問題点や難しさについても見えてしまった。
「コンセプト」のありかたと、それをどうやってつらぬき通し、そこから労働へと変換するのか。
「モノづくり」ではないけれど、これはまさに「コトづくり」。
言い換えれば、
「意志」をどうやって伝播し、かかわる人々のモチベーションにするのか。
そいうことのような気がした。
マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった
は、そんななかでもコンセプトとそれを進める情熱の力強さを感じずにはいられなかった。
また、その伝播のプロセスがほほえましく、心地よい。
決して順風満帆ではないにせよ、コンセプトが波紋のように広がり、受け入れられ、世界中にその波が届いていく。。。
それはきっと、「ネパールの学校に本を届けたい」という情熱がそのまま「ルーム・トゥ・リード」というコンセプト(活動の団体名でもある)になったからなのだと思う。
小さな善意から生まれたコンセプトが、やがて大きな組織(システム)となって、関わる人々に労働以上の喜びを与えていくプロセスは圧巻ですらある。
情熱が=(イコール)コンセプトになるとき。
そんなちいさなちいさな事件が、ボクの身にもおこらないかなぁ...
詳しく知りたい方はこちらからどうぞ→マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった
デザインが企業を救う [デザイン思考の道具箱]
- 作者: 奥出直人
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2007/02
- メディア: 単行本
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デザイン、あるいはデザイナーというコトバ。
世間での使われ方や意味にいつも違和感を感じながら生きてきた。
ボクはこれまで一緒に仕事をしてきた人たちに、ことあるごとに、こう言ってきた。
「モノ・コト、を創りだすプロセス全てにデザインという行為が存在する」
「デザイナーはフィニッシュワークだけでなく、もっともっとビジネスの広範な領域で活躍するべきだ」
(って、こんなカタイ言い回しではないですけれど...)
で、だいたいの反応が、
「それって、世間ではディレクターとかプロデューサーっていうんじゃないの?」
だったりする。
「ちがうんですよ、もっと、こう、ミトコンドリアみたいにそこらじゅうに...」
「デザイナーの心を持った人が、いわゆるデザインではない仕事をデザインだと思ってするのが重要なんですよ...」
「商品やサービスが生まれて、消費者にとどいて、アフターサービスがあって...のビジネスサイクル全てにデザイナーが関与すべきなんですよ...」
そう。相手が納得しないのは、ハナシのデザインができていないボクのせいです。。。
発想する会社! 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法
を読んだとき「もしかしたらイケるんちゃうん?」と思った。
デザイナーが、日々自己のなかでおこなっていることを「ひらいて」集団でやるってことでしょう、これは。
デザイン思考の道具箱 イノベーションを生む会社のつくり方
はさらに(日本人向けに?)具体的なメソッドでその方法を解説した本だと思う。
技術や知識がすでにありふれたものと化した今日、企業の競争力を決めるのは「創造性」だ。そこでいま注目されるのが「デザイン思考」である。デザイナーと呼ばれる人々の仕事術から核となる部分を抽出し、実際のビジネスに沿うかたちで商品の開発から製造、流通にいたる過程に適用。ひいては企業経営全体をデザインして、魅力ある商品を継続的に生み出せる組織につくり変えるのである。実際、アメリカではすでにGEなどの伝統的企業が「デザイン思考」の導入で実績をあげている。(裏表紙の紹介文より抜粋)
そうか「デザイン思考」といえばヨカッタのか。。。
実際、ここで書かれていることを実行し、企業風土として全体に広めていくことはすごく難しいことだと思う。
でも、それが必要とされていることは間違いなく(というか必須なんだなホントは)。
ボクもその端くれとして認められたような気がして、チカラがわいてきたのでした。
詳しく知りたい方はこちらからどうぞ→デザイン思考の道具箱 イノベーションを生む会社のつくり方
ものづくりとはなんぞや? [気が向いたらプラグ作り]
- 作者: 羽鳥しづを
- 出版社/メーカー: アテネ書房
- 発売日: 1998/05
- メディア: 単行本
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ハトリーズを知っていますか?
日本におけるサーフェイスプラグの第一人者、羽鳥静夫さん作によるルアーたちをこう呼びます。
ここ数年(10年?)ブラックバスに代表される日本のスポーツフィッシングの世界で、トップウォーター・スタイルやハンドメイドルアーなるものが盛り上がりを見せているのをご存知でしょうか?
昨年の夏から20数年ぶりにバス釣りを再開(これだけ時間があくと初めてみたいなもんですが)したボクが、いまハマっているのがこの「トップウォーター」なのです。
トップウォーターについて、バス釣りについて、話し始めると長くなりそうなので今回はやめておきますが、ハンドメイドルアーについては少々説明が必要だと思います。
ハンドメイドルアーとは、文字通り手作りのルアーを意味します。
釣りをしない人でもダイワやシマノなどの名前は聞いたことがあるかと思います。私が釣りをしていた20数年前で釣りの道具といえば、いわゆるこういった釣り具メーカーによるものがほとんどでした。ルアーについても同様で、海外からの輸入品(もちろん子供には手の届く金額ではありませんでした)か、こういった日本のメーカー製のものがほとんどでした。
そして、去年再開してみてビックリ。
日本でルアービルダーなる職業が存在し、ほぼ全て手作りの少量生産のルアーが店頭(売っている店はそんなに多くないが)やオークションを賑わせていたのです。
たくさんのブランド(イメージとしてはインディーズのレーベルに近い?)が、様々なアイデアを形にして売り、それを実際に使うために求める人々が存在する、そんな需要と供給が成り立っていたのです。
バス釣りをやった人なら誰しも1回や2回はルアーを作った経験があるものです。
ボクも例にもれず、小学生の時に作っていました。でも結局実際に使う機会には恵まれず。。。
で、いまどうしているかというと・・・作ってます。
昔に比べれば道具や材料は手に入りやすくなり(近年のプラモデルの世界の進歩にもちょっと似ているかもしれません)なにしろ、小学生の時から比べれば技術も根気も年相応に身についていますから、当時一生懸命やってもできなかったモノが割とできてしまうのです(これが楽しくてたまらない)。
でも結局どこかで行き詰まるのですね。
ルアービルダーの方々の作品には到底及ばない、まず作ったルアーがちゃんと思い描いたように動かない、どうすればいいか試行錯誤にも限界がある。
そんな折、この本の存在を知った訳です。
新版として出たのが1998年、初版はそこから14年前なので1984年でしょうか。
読むと、いかに羽鳥さんがルアー作りに対して真剣で、試行錯誤の上に築いた独自の方法論に基づいてルアー作りを行っているかが良く分かります。安直に人のノウハウにたよった自分を反省しました。
釣りをしない人にはちょっとツライ内容かもしれませんが、モノ作りのひとつの回答ではあります。
詳しく知りたい方はこちらからどうぞ→気が向いたらプラグ作り
妄想癖 [誰のためのデザイン?]
誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)
- 作者: ドナルド・A.ノーマン,D.A.ノーマン,野島久雄
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 1990/02/01
- メディア: 単行本
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すみません、基本を押さえにかかった訳ではないのですが、今日はふと、この本に関してコメントしたくなりました。
ボクは常に何かを目にするたびに「なんでこうなったのだろう?」とその理由を妄想するのが大好きです。デザインに携わる人の心得だ、などと言うつもりでは決してないのですが、ボクが現在こうしてそれ系(?)の仕事をしているのも、この「なんでだ?」が大きく関係しているように思うのです。
過去にもそのようなことを書いていますが、人が関わって何かが生み出されたとき、そこには必ず理由があります。それを出来た結果=形態=デザインから推測するのがボクの癖なのです。
例えば、通勤電車のドアの上部にあるカギ穴です(最近の電車にあるかどうかは分かりませんが、少なくともつい最近新型車両が導入され旧式となった中央線には必ずそれがあります)。
まず、なぜ車掌室から一括で管理され自動で開閉する電車のドアに「カギ」が必要なのか?しかもその位置は以上に高く、身長184cmのボクの目の位置とほぼ同じ高さです。
また、カギ穴は完全に外に抜けており、覗き込むとそこから景色が見えます。ドアを施錠するためのものとは到底思えないような、とってもシンプルないわゆる「穴」なのです。前方後円墳状のその形からカギ穴と判断してしまうだけで実は違う意図があるのかも...とつい色々考えを巡らせてしまうのです。
こういった「身近な、なぞ」についてはいくつかのパターンを見いだす事ができます。
A. そのようにする何か強烈な意図や意思がそこにある
B. あまり考えずにやったらそうなった
C. 本当はそうしたくないんだけどやむなくそうせざるを得ない理由があって
で、ボクはこの中央線のカギ穴については、C. ではないかとふんでいます。
というのも、何年前からかこのカギ穴にシールが貼られ外が覗けなくなってしまったからです。
これは「ここから外を見るな」という意思表示です。また、穴に何か(カギ?)を通すということが少なくとも電車を運転している最中には必要ないということも示しています。
ボクの推理はこうです。
このカギ穴は、その昔ドアの開閉が自動でなかったころの名残で、ドアが自動になってからもそのドアの部材を供給するサプライヤーが「仕様」として、あるいは一種の装飾・おまじないみたいなものとして納品し続けた。
...たぶん、違います。(怒りました?)
何が言いたいかというと、こうした妄想(ボクはこのサプライヤーの営業トークや納品時のひともんちゃくなどにも想いを馳せたりします)が、自分でデザインをするうえでの引き出しになっているのではないかということなのです。
まま妄想の是非はともかく...
誰のためのデザイン? 認知科学者のデザイン原論は、間違いなく名著です。デザイン周辺にいる方は一度は読んだ、あるいは誰かに読めと言われたことがあるのではないでしょうか?
ここに書かれていることを乱暴にボクなりの解釈で言ってしまえば、
「この妄想こそがデザインの源泉であり、つい人はその妄想を忘れてモノを作ってしまう」
のだと思います。
ただそこは認知科学と言うだけあり(やや)科学的な説明がなされています。
残念(?)ながら筆者のD.A.ノーマン氏は純然たるデザイナーではありませんが、
だからいいんじゃん。
そんな本です。
詳しく知りたい方はこちらからどうぞ→誰のためのデザイン? 認知科学者のデザイン原論
デザインの源泉 [人を動かす]
久しぶりの更新です。
これまでデザインにまつわる話や、本を紹介してきました。
それには変わりないのですが、今後はもうちょっと広くデザインを捉えた形で発信をしていきたいと思います。
- 作者: デールカーネギー,Dale Carnegie,山口博
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 1999/10/31
- メディア: 単行本
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ボクの持っている版には「世界的ロングセラー」とあります。
世界中のいろいろな人がこの本のことについて述べていると思うので、くどくど言いません(言えません)。
まだ読んだ事が無い方。
ちょっとでも興味があるようでしたら是非読んでください。
もしかしたら、タイトルからマネジメント論的なイメージを受けている方がいるかも知れません(ボクもそうでした)。
たぶん違います(もちろんそういう見方もアリですが)。
人として誰もがもってる「認められたい」という気持ちをうまく受け止め、それを適切な表現でその人に戻してあげることがどれだけ円滑な他者とのコミュニケーションに繋がるか、そういうことを伝えている本です。
そして結果的にそれが「人を動かす」ことになる、とボクは理解しています。
10年以上前、あるイベントでイタリアの「デザインダイレクター」という職業の方と話す機会がありました。イタリアではデザイナーの社会的地位が高い、ということは割と知られていると思いますが、この「デザインダイレクター」はそのデザイナーと企業・団体を繋ぐ役割の職種だということでした。
企業に対しての営業的な役割、企画立案、デザイナーとのコラボレーション、プロモーション戦略、権利処理など、デザイナーを前面に立てつつも実は全体をデザインするのは彼のような職種の人々なのだそうです。
「コンセプトを最後まで守り抜き、世に出すのが私の仕事だ」とも言っていました。
日本で言えばプロデューサーに当たるのかも知れませんが、もっとデザインに根ざした、デザインを中心に据えた動きをする人に見えました。まさにボクが理想としている「デザイン」でした。
彼に「デザインダイレクターになるにはどういう視点や訓練が必要でしょうか?」と質問をしたときの答えがこの「人を動かす」方法と全く同じでした。
「相手に興味をもつこと」
えっ、それだけ?というボクのリアクションに彼はこう付け加えました。
「それがデザインの原動力になる」
なんだかその時はちんぷんかんぷんだったボクも(若かったし)、この本を読んだときようやく彼の言わんとしていたことが分かったような気がしたのでした。
もっと詳しく知りたい方は→人を動かす 新装版
徳 [パックマンのゲーム学入門]
- 作者: 岩谷徹
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2005/09/17
- メディア: 単行本
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ゲームプロデューサーの方が書いた本。
ボクが不勉強だったせいか、これまでこういったゲームを創る現場のことを書いた本には巡り会わなかった。
プロデューサーとデイレクターの役割の違いや制作体制の話など、非常に興味深かったのだけれど、一番記憶に残ったのは以下の部分。
(略)また、先にあげた能力を包括する概念として、昔からいわれる「徳」という言葉が当てはまるのではないでしょうか。「徳」とは、「自らの行動が他者に影響をおよぼす力。社会的な観点からも評価される人格」というような意味です。プロデューサー(もっと広くリーダー)として必要な能力をひと言でいうならば、「徳」を身につけるということ、つまり自らの人間性を高めていくということに尽きるとも言えます。【P136:プロデューサーに求められる能力】
ゲームの世界に限らず、結局はこれなのだな、と思う。
しかしながら、ボク自身の不徳のいたすところにより、まだまだ身につく気配すらなく。。。
もっと詳しく知りたい方は→パックマンのゲーム学入門
反芻
2005-01-12の「初日に想う。」から始まったこのブログ。
遅々として更新が進まないまま、1年以上が過ぎてしまった。
『「こうしたらいいんじゃないか?」これがデザインの源。』
初日にこう書いた。
もちろん、1年経った今もまったく想いは変わらず。
むしろ、フィギュアスケートのスピンのように、
思考の不純物を取り除くかのごとく、目線を1つのポイントに定め、軸にブレのないよう一生懸命ぐるぐると回転を続ける。
そんなイメージで日々を過ごし、それを書き留めている。
本日、あることがあって、
『「こうしたらいいんじゃないか?」これがデザインの源。』
に対して、
「どうしたらいいんじゃ?」お前(ボク)とデザインの関わり。
を問う必要性を痛烈に感じた。
まだまだスピンは続けるのだけれど、さらに回転を早め少しでも純化に貢献したい。
...そんな訳で、本日より「コメントを書く」がONになりました。
よろしくおねがいします。(過去のも含めて)